紺野あさ美
物語の終わったあとに入った普通な4人
ASAYANが終わり*1モーニング娘。にとっての大きな物語が終わった後に入った5期メンバー。当時本当にこんな普通の子達を受け入れるキャパシティーがまだモーニング娘。やファンにあるだろうかと疑問だったことを思い出す。
オーディション落選の素人5人から始まった物語は10人のときに完成形がそこにあったと思うが中澤裕子の卒業でいったん終わりを迎えた。
そんな中に入ってきたこれまでで最も普通の素人くさい4人。中でも紺野は場違いなところに迷い込んできている印象があった。
オーディション風景はみのもんたが司会の特番が組まれて大々的に放映された。が、結果論だが彼女たちこそASAYANのように地道にじっくりと見せる対象であったように思う。
しかしアイドルとして完成をみた後は周囲の状況はもう物語が必要だとも思われず(ファンにとっては必要なものであったかもしれないが、提供された物語は密度が薄いものだった)、結果よくわからない新人という世間の評価になってしまったように思う。この評価はこれ以降続いていく。該当者なしだったオーディションもあった。
物語の密度が薄くなるにつれて全体ではなく細部や個々のメンバーの差異に目が行くのは当然だったろう。ファンの見かたも自然にそうなってゆく。*2
普通だからこそ
このような状況下であまりに普通な4人を見ていて時間がかかりそうだなと思っていた。
でもいつからか逆にその普通さに癒しというか安心感を感じるようになっていた。
もちろんタレントである以上、メディア上で多くのほかのタレントを押しのけるような存在感やスピードも必要だろうと思う。その意味では自分で決めた引退ではあっても淘汰されたという見かたもありうる。
しかし少なくとも自分には彼女たちの普通さがほほえましく感じられたし、ずっと見ていたいなと思わせてくれた。
浮沈の激しいアイドル、タレント業界の中で普通のよさを見せてくれた貴重な5年間だったのかもしれないなと思う。
モーニング娘。に関しては実は他にも書きたいことも多いのだけどそれはまたいつか。